Sunday, September 30, 2018

冬支度について考える

ああ美しきかな日本の四季。とか嘆じてしまう人がいるけど、世界の何処にだって美しい四季はあるはずです。というのも、四季は明日から春決定、みたいにデジタルちっくに決まっているのではなくて、なんとなく春だな、とかもう冬ですね、みたいな連続量の変化のうちに働く感性だからです。色彩が電磁波の波長の違いでその色に「見える」のと一緒で、ブリリアントかどうかはその人が感じられるかどうかに委ねられている。

ただ、エドモントンの四季が夏ー冬ー極冬ー冬ー夏・・・で循環してんじゃねえの?というかこれだと三季だろもう。という疑念は、たぶん新参者の僕だけじゃなくて、地元のカナディアンでも薄ら気づいてるっぽい。なぜかというと、アラウンド0でTシャツ一枚とかハーフパンツとかいう輩を老若男女問わずけっこうな頻度で見かけるからです。東京に寒波が襲ったくらいの気温で素足にサンダルはないよね。

彼らのエクストリーム薄着(思いつきです)は季節に無駄な抵抗していると僕も最初は思っていたけど、じつは季節を生み出しているんだということに気づきました。だって9月から手袋をしてコートを着込んでブーツを履いてしまったら(快適なんだけどさ)、冬はどうすればいいか分からなくなってしまうじゃないですか!(現実にはより厚い手袋、重いコートを用意する、現実には)。こうやって、彼らなりに季節を「踏み抜いて」しまわないようにしてるんだな、と思うと、彼らを見る目も自然と緩んでくるというものです。だってまだ秋だしね。


というわけで、エドモントニアンとしては薄手のダウンジャケットに細身のパンツを合わせて足首はチラ見せ、貴兄だったら革ジャンの下にTシャツぐらいが、アラウンド0の秋に相応しい作法だろうと思う。MS

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